高校時代(神奈川県立多摩高等学校)、大学、大学院時代(東京工業大学)には陸上競技部に所属していました。過去の栄光(?)についてお話します。私は主にハンマー投げを得意としていました。室伏親子の活躍もあり、最近のハンマー投げは少しポピュラーになってきた感じがします。私としてはうれしいかぎりです 主な試合におけるハンマー投げの記録を紹介します。高校3年生のインターハイ全国大会出場(神奈川県大会優勝、南関東大会準優勝)と、大学2年生の関東インターカレッジ2部準優勝、神奈川県選手権優勝が主な成果だと思っています。 私は神奈川県立多摩高校というまあまあの進学校に通い、そこで陸上競技と出会いました。この陸上部は進学校としてはかなりレベルが高く、私が3年の時の南関東大会では、他の陸上競技では名門の私立高校等を抑え、団体で準優勝をすることができました。また同期では篠崎一男という選手がいて、彼はインターハイ全国大会で入賞したり、また1年下の荒正仁という選手がやはりインターハイ全国大会や国体で入賞して、とても強い陸上部でした。
大学2年の夏に腰を痛め、その後は思うような結果を残すことができませんでした。それまで(上の表では1981年6月まで)はいつも満足する記録を出すことができました。会心の一投の手応え、そしてその後にハンマーが描く軌跡は今でもはっきりと覚えています。1981年の神奈川県選手権で優勝し、関東7県対抗戦に神奈川代表選手として選ばれましたが、このときは腰を痛めた後なので、活躍することができず悔しい思いをしました。 高校3年生のインターハイ全国大会は滋賀県大津市で開催されました。南関東大会で準優勝だったので、その全国大会に出場することができましたが、予選落ちでした。このときの優勝者(つまり高校生ナンバーワン)と、そのあと横浜市選手権(1980年10月)で顔を合わせました。彼は全国大会優勝という栄光を背負って日本体育大学に入学していました。彼は陸上競技の職人集団の日本体育大学の所属でかつ全国大会優勝者、私は陸上競技では全く無名の東京工業大学の所属です。そんな状況で私が彼を負かし優勝したので、周囲の人はかなり驚いていました。私にとってはよい思い出です。 |