1980年代はソウルやブルースの各種のレコードが再発されたり、日本独自の編集版が発売されたりして、何回目かのブームのときでした。ビクターから発売されたStaxの編集LPやHiの編集LPは快挙でした。パイオニアから発売されたSoul Deepのシリーズはマストバイと言われ、すぐレコード屋に買いに行ったことを思い出します。VividやP-Vineのようなマニアックなレーベルもとても元気な頃でした。さらに円高が進み出している頃でもあり、かなりの大物アーティストがアメリカから呼ばれて日本に来ていました。私は大学生になって、アルバイト(初めは渋谷のマクドナルドでアルバイトをしました)のおかげで自由になるお金が手に入り、ソウルのレコードを買いあさりました。またブルースやソウルのアーティストが来日すると聞けば、必ず行きました。

私は日記を書く習慣がないので正確な日時は覚えていませんが、私が行ったコンサートを以下に挙げてみます。ただしチケットの半券で日時がわかるのがありました。また当時はコンサート会場にテープレコーダーを持ち込んで、コンサートを録音する事は比較的寛容でした。そのテープがまだ残っているので、そのうちに久しぶりに聴いてみようと思います。

1981年:The DriftersThe Shirelles が出演したJapan Doo-Wop Carnival(7月)、John Littlejohn(12月)
シャネルズ(その後のラッツアンドスター)の人気のおかげで、当時はDoo-Wopがちょっとしたブームでした。そのおかげでJapan Doo-Wop Carnivalが開催されました。John Littlejohnは私が初めて観た「黒い」ライブです。圧倒されました。

第1回Japan Doo-Wop Carnival

1981年7月12日に厚生年金ホールで行われました。当時は人気絶頂のシャネルズとThe Drifters, The Shirellesのジョイントコンサートでした。会場はシャネルズのファンのかわいい女の子ばかりで驚きました。The Shirellesはまあまあでした。

右はコンサートのパンフレットですが、ドゥーワップのグループや歴史が詳細に書かれていて、大変重宝しました。

1982年:Otis Clay (4月)、The CoastersThe Crystalsが出演したJapan Doo-Wop Carnival(7月)、Ben E. King (7月)、Wilson Pickett (11月)
Otis Clayはさすがでした。胸の奥からこみ上げてくる想いに堪えきれませんでした。一方、Ben E. KingWilson Pickettのライブでは、彼らを観ることができただけで満足でした。彼らに全盛期の歌声を望むのは無理です。本物の彼らを観ることができるだけも幸せと思わなくてはいけません。Wilson Pickettのライブでは私の近くの席に中村とうようさんがいて、手拍子をして楽しそうにしていたことを思い出します。

第2回Japan Doo-Wop Carnival

1982年7月19日に中野サンプラザで、前年の第1回に引き続いて行われました。シャネルズとThe Coasters, The Crystalsのジョイントコンサートでした。なんだか彼らのカラオケ大会のようになってしまい、悲しくなりました。シャネルズのファンがほとんどの会場ではThe Crystalsの曲を知る人は少なく、歌っている彼女にもかわいそうなコンサートでした。

第2回でも右のようなパンフレットが販売されていましたが、第1回目と比べると貧弱な内容でした。

Otis Clayの78年の初来日のステージは伝説となっています。そのライブを納めた2枚組のレコード「LIVE! OTIS CLAY」(日ビクター VIP2052/3)に夢中になりました。この82年のライブはそれほどではないかもしれませんが、私にとってのオーティスとの出会いとなるもので、大変に思い入れがあります。

左はコンサートのパンフレットです。ステージも懐かしいですが、当時人気のあったテリージョンソンのヘタウマのイラストの表紙も懐かしく感じます。

1983年:Little Milton (4月)、Otis Clay (4月)
またまた来たOtis Clayですが、とても元気で、この時のライブが2枚目のライブインジャパンとしてユピテルからLPが発売されました。Otis Claysがサザンオールスターズの「いとしのえりー」を歌ったときにはびっくりしました。Little Miltonはブルースがほとんどで、ソウルをあまり歌ってくれませんでした。
1984年:Curtis Mayfield (3月)、Barbara Lynn (5月)、John Lee Hooker (7月)
大物の来日が続きました。Curtis Mayfieldのライブでは、The Impressionsの曲もソロになった後の曲も魅力的でした。サザンソウルばかり聴いていた私でしたが、彼のライブによって私は新しい目を開くことができました。Barbara Lynnの"You'll Loose a Good Thing"を彼女独特のハスキーボイスで聴いたときには涙でした。John Lee Hookerの前座にはRobert Clayがでてきましたが、彼の演奏時間が短く、もっと彼のブルースを聴きたかったと思いました。

Barbara Lynn

1984年5月5日に渋谷Live-Innで行われたコンサートです。チケットの番号はなんと1番でした。今のチケットぴあのような味気ないチケットとは違い、捨てることができない味のある半券です。このチケットは荷札のようなスタイルです。

このあたりの大物になると歌声を聴き、そして動く姿を見るだけで満足です。Barbara Lynnのハスキーボイスはやはり独特で、レコードと同じだ、と変に感激しました。

Barbara Lynnはバックバンドを連れてこないで、日本人の臨時のバックバンドをつけましたが、バックバンドもかなりのものでした。Barbara Lynnの左利きのギターは格好良かったことを覚えています。このライブはのちにLPとなって発売されました。

1985年:The Ovations (3月)、Robert Jr. Lockwood (7月)、The Dells (12月)
私にとってのベストライブはThe Dellsのクリスマスに行われたコンサートでした。こんなに素晴らしいライブを観ることができたことは幸せでした。彼らの圧倒的なライブが終わった時には終電が出た後で、そのまま渋谷で朝が来るのを待ちました。The Ovationsも全盛期のままのメンフィスサウンドを聴かせてくれました。

The Ovations

1985年3月20日にLive-Innで行われました。素晴らしいライブでした。ライブ終了後、楽屋でサインをもらいました。このときは彼らのGold Waxのシングルにサインをしてもらいました。このチケットにもLouis Williamsのサインがあります。

ライブでは彼らのほとんど全盛期のゴールドワックスに近いSam Cooke節を聞くことができました。

The Dellsのクリスマスイブに行われたコンサート

1985年12月24日に渋谷Live-Innでのコンサートです。このころに来日したアーティストはLive-Innでコンサートを行うことが多いようでした。Live-Innはビールを飲みながらライブを観ることができる雰囲気のよいライブハウスでした。

The Dellsのコンサートはちょうどクリスマスイブに1回だけ行わなわれました。すばらしいコンサートで夢のようでした。2部構成のライブで、その間には楽屋に入ってサインをメンバー全員からもらいました。サインをしてもらったのは、"Oh What a Nite"と"The Mighty Mighty Dells"のLPのジャケットです。このサイン入りの2枚のLPは、独身のときに部屋の壁に飾っていました。また、一緒に楽屋にいた人が、彼の立派なコートの背中にサインをもらっていたことが妙に印象的でした。

1986年:Mighty Sam (4月)、Clarence Carter (6月)、Earl King and Johnny Adams (7月)、The Chi-Lites (9月)
Mighty Samもよかったライブのひとつで、このときのライブLPがVividから出たときにはすぐに買いました。このときには"Sweet Dreams of You"と"Fannie Mae"のシングルの袋にサインをもらいました。ライブが終わって家に帰ってすぐに彼の昔のシングルを集めて聴きました。ニューオーリンズ最高のソウルシンガーであるJohnny Adamsは現役バリバリでした。彼には"Heart & Soul"のLPにサインをもらいました。The Chi-Litesの"Oh Girl"や"Have You Seen Her"のヒット曲を聴いて満足しました。彼らには"Give More Power to The People"のLPにサインをもらいました。
1987年:Irma Thomas (4月)、Bobby Womack (9月)、The Dramatics (12月)
1980年代最高のソウルシンガーであるBobby Womackのコンサートに行くことができました。やはり1980年代のコンサートについて書くならば、彼のコンサートは省くことができません。きっと彼の後にはソウルシンガーとして、彼を越えるシンガーが出てくることはないと思います。1987年の春に結婚して、その後はコンサートに行くことがほとんどなくなってしまいました。結婚と趣味の両立はやはり難しいようです。

Irma Thomas

1987年4月10日に青山スパイラルCAYで行われました。このときもライブ終了後に楽屋でサインをもらいました。サインは"Safe with Me"のLPにしてもらいましたが、どうしてIrma Thomasの代表的なLPにしてもらわなかたのか、と今では思います。しかし彼女のディープな歌声を聴くことができて幸せでした。

「おまけ」 松田聖子のコンサート

日本人のコンサートで素晴らしかったのは、松田聖子でした。結婚前後(もちろん1回目の結婚)の松田聖子は、彼女の絶頂期であると私は思います。私は1984年4月のFantasic Flyと題されたコンサートと、1987年6月のSuper Diamond Revolutionのコンサートに行きました。会場は両方とも日本武道館です。このころに発表されたシングルの曲にはアイドルとしては考えれられないほど完成度の高いものが多くありました。私はその中でも"ロックンルージュ"は最高であると思います。日本人のコンサートで私が素晴らしいと思ったのは、松田聖子のコンサートだけでした。もっともサザンオールスターズのコンサートに行っていたならば、きっと彼らのコンサートも私のベストコンサートの一つになっていたと思いますが、まだそのチャンスがありません。

「おまけ その2」 米米クラブのコンサート

横浜アリーナで行われた米米クラブの再結成コンサートツアーの最終日に行ってきました。コンサートの終わりには、米米クラブの活動を継続することが発表されました。